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五代目市川團十郎とはどんな人?

サイト管理者の「テラ」と申します。成田を隅々まで熟知している、今は昔のイケメン青年です!(笑)

何度も成田に遊びに行きたくなる、そんな成田の魅力を発信したく、サイトを作りました!成田の魅力をここから発信して行きますよ~。

成田の観光名称や美味しい食べ物・お土産品、成田空港がある街ならではの遊び方など、盛りだくさんです。皆さんが知っている成田から、地元の人でも知らない隠れスポットまで教えちゃいます。

初めての方やトランジットの方、何度も成田に行ったよと言う方でも、また遊びに行きたくなる、そんな情報がワンサカあります。(ただし、開設したばかりのサイトですので、今はまだ情報量はちょっとです。スミマセン。)末長くお付き合いくださいませ。

五代目市川團十郎の人生

五代目市川團十郎は、寛保元年(1741年)8月に生まれました。初舞台は、宝暦4年の1月です。中村座で松本幸蔵という名で、デビューしました。

その年の11月、父の幸四郎が四代目市川團十郎を襲名したことで、三代目松本幸四郎受け継ぎました。その後の明和7年(1770年)11月の中村座で、五代目市川團十郎を襲名したものです。時に30歳でした。

五代目市川團十郎は、成田山不動明王だけではなく、他の不動明王をも数多く演じていました。五代目市川團十郎は、不動明王にとてもこだわりがあったのです。

その理由は、今まで歴代の市川團十郎がやらなかった、新しい芸を取り入れて批判を受けたり、彼の芸風に苦情が寄せられたりしてことに由来します。

そのために、何事にも動揺しない不動の心から、不動明王を信仰したと言われています。

五代目市川團十郎は、悪徳や敵役を得意としており一方で、娘から老女の女役、農民など様々な役柄を演じたことで、今までの市川團十郎の中では、幅広い芸を演じた人物です。

このため、天明8年(1788年)の評判書で、日本の役者のトップと評価されています。

五代目市川團十郎は、寛政8年11月の都座での興行を最後に引退するわけですが、溯ること5年前の寛政3年11月に息子の海老蔵に六代目市川團十郎を襲名させていました。

その時に五代目市川團十郎は、鰕蔵と改名していました。成田山は、先祖からの守り神と告げています。

その5年間と言うものは、息子が六代目市川團十郎となったとは言え、江戸ではまだまだ大スターです。中々引退のきっかけがつかめませんでした。

引退後も何度か舞台に上がり、得意芸をつとめていましたが、享和2年(1802年)完全引退をしました。

そして、文化3年(1806年)に亡くなりました。

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