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初代市川團十郎のひいじいちゃんは成田に住んでいた!
市川團十郎は、歌舞伎界の有名人。その市川團十郎が成田との関わりがあると言うことも、有名です。十一代目の市川海老蔵さんは、成田市御案内人として任命され、成田の魅力を発信しています。そんな市川家の祖先のひいおじいちゃんは、成田に住んでいました!
初代市川團十郎の父は堀越重蔵と言います
初代市川團十郎は、堀越重蔵の子として江戸で生まれました。その堀越重蔵の過去をたどっていくと、1590年(天正18年)まで遡ります。
市川團十郎の曽祖父は、堀越十郎と言い、元甲斐の国武田信玄の家臣でその後、相模の国小田原城の北条氏政の家臣となった人です。
しかし、小田原城が落城(1590年)したことから、農民として下総の国幡谷村(現在の成田市幡谷)に移り住みついたのです。
堀越十郎の子、重右衛門が成田で農業を受け継ぎ生計を立てていました。その重右衛門の子が2人いました。兄の重蔵と弟の惣左衛門です。
兄の重蔵は農家を嫌い、江戸に出て行きました。その江戸で生まれたのが、重蔵の息子、初代市川團十郎なのです。また、弟の惣左衛門が成田で農業を受け継いだいたことから、成田市幡谷に堀越家の軌跡があったのもです。
ちょっと整理してみます。
本人 子 孫 ひ孫
家臣・堀越十郎 ⇒子・堀越重右衛門 ⇒子・長男:重蔵 → 江戸に出る ⇒子・初代市川團十郎 次男:惣左衛門→ 成田で農業を続ける
と言うことは、堀越十郎のひ孫が、かの有名な歌舞伎役者の市川團十郎だったのですね。それで、市川家の本姓は堀越家と言う事なんですね。
次男の堀越惣左衛門が、幡谷に住んでいたことからその過去が、明らかになってきたものです。そして、昭和39年に十一代目市川團十郎がこの地に石碑を建てたとのことです。
この石碑は「市川團十郎先祖居住の地」と言う石碑で、成田の幡谷地区にあります。ここは、東光寺の薬師寺堂前にあります。
幡谷の薬師堂 市川團十郎先祖居住の地にある石碑
秋の深まる、ある日に訪れました。午後の日差しが木々の隙間からこぼれて、石碑を照らしながら見守っているようでした。
時の流れを感じながら、時の止まった空間を見た瞬間でもありました。