二代目市川團十郎の時代はいつ?
二代目市川團十郎は、1688年10月(元禄元年)に初代市川團十郎の長男として生まれました。名前は九蔵と名付けられました。
九蔵は、10歳で歌舞伎界にデビューし、成田の申し子と呼ばれていました。
その理由は、父である初代市川團十郎は、男の子に恵まれなかったことから、成田山のご本尊不動明王に子授けの祈願をして、そのご利益で生まれたことから、そう呼ばれたものです。
しかし、九蔵が17歳の時に初代市川團十郎である父を亡くしました。しばらくは舞台を休み、成田山で断食修行を行い、父に劣らない役者になるための祈願を不動明王にしました。
九蔵の舞台役者としての努力は、光るものがあり、父譲りのお家芸の他にも初代になかった、和事なども取り入れました。
その努力が実を結び、その地位を確立して現在に至っていると言っても過言ではありません。
二代目市川團十郎は、成田山への信仰心がとても深いものがありました。二代目市川團十郎自身は、何度となく成田山に参詣しています。
そして、ある舞台では「成田不動は自慢のお家芸」とのセリフもあり、不動明王を演じた姿は、本物の仏像だと評判になり、これが四国や関西方面に伝わったものです。
その後の活躍は、目を見張るものがありましたが、1758年9月(宝暦8年)二代目市川團十郎はが亡くなりました。
71歳の生涯が閉じた瞬間でした。