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市川團十郎の歴史を振り返る市川海老蔵との関係は?

市川團十郎さんと言えば、歌舞伎界で有名な人です。この市川團十郎さんは、成田との関わりが深く、現在の市川海老蔵さんは「成田市御案内人」として、成田の魅力を発信しています。

今回、市川團十郎さんの歴史を振り返ってみたいと思います。

Contents

市川團十郎と市川海老蔵との関係

市川團十郎さんは、歌舞伎の市川一門の宗家です。その長い歴史とこれまでの事績や実力から、市川團十郎と言う名前は、歌舞伎役者の中でも最も権威のある名とされております。

では、市川團十郎と市川海老蔵言う名跡との関係はどうなっているのでしょうか?屋号は成田屋です。

市川海老蔵と言う名跡は、初代市川團十郎が子供の頃の名が海老蔵だったことに由来するものです。11代の海老蔵のうち、10人が市川宗家の御曹司で、9人が市川團十郎を襲名しています。

過去においては、海老蔵と言う名跡は、市川團十郎と並ぶ大名跡でした。しかし、今日では市川團十郎と襲名する前の名跡が市川海老蔵となっています。

このため以前は團十郎から海老蔵と襲名していましたが、後期からこれが逆転して海老蔵から團十郎と襲名する例がほとんどとなりました。

市川團十郎の歴史

市川團十郎代々の歴史を見てみましょう。

1.初代市川團十郎

堀越十郎(甲斐国武田信玄の家臣)が下総国幡谷(現成田市)に住み、農民となる。十郎の子、重右衛門ですが、その息子重蔵が江戸に出て、そこで生まれた息子が初代市川團十郎と言われています。

役者堀越重蔵の長男:幼名海老蔵 1660年~1704年
12歳で歌舞伎の道に入り、初代市川海老蔵は、14歳で初代市川團十郎と名乗る。

初代市川團十郎のひいじいちゃんが眠っている場所です。

成田市の幡谷地区です。詳しく見てみる ⇒ 成田に住んでいた初代市川團十郎のひいじいちゃん

2.二代目市川團十郎

初代の長男、九蔵 1688年~1758年
初代市川九蔵から17歳で二代目市川團十郎を襲名。 その後、二代目市川海老蔵を名乗る。

市川團十郎の名跡が現在まで継続しているのは、2代目の功績です。

3.三代目 市川團十郎

二代目の養子 1721年~1742年
実父は二代目の高弟の三升屋助十郎。

初代市川升五郎から三代目市川團十郎を襲名

4.四代目 市川團十郎

二代目の養子 1711年~1778
実父は芝居茶屋の和泉屋勘十郎、あるいは二代目團十郎。

初代松本七蔵から二代目松本幸四郎その後、四代目市川團十郎から二代目松本幸四郎そして、三代目市川海老蔵に襲名

5.五代目 市川團十郎

四代目の子、1741年~1806
三代目松本幸四郎から五代目市川團十郎。その後、三代目松本幸四郎から市川蝦蔵、 成田屋七左衛門(隠居名)となり、初代市川白猿(舞台復帰後)と襲名

6.六代目 市川團十郎

五代目の息子 1778年~1799
四代目市川海老蔵から六代目市川團十郎襲名

7.七代目 市川團十郎

五代目の孫で六代目の養子 1791年~1859年
初代市川新之助(五代目)から市川ゑび蔵、七代目市川團十郎その後は、五代目市川海老蔵、成田屋七左衛門(蟄居謹慎時)、幡谷重蔵(旅回り)から二代目市川白猿を襲名

8.八代目 市川團十郎

七代目の長男 1823年~1854年 32歳で割腹自殺、原因は不明
二代目市川新之助を名乗り、弟が生まれたことで、六代目市川海老蔵を名乗る。10歳で八代目市川團十郎を襲名し

9.九代目 市川團十郎

七代目の五男 1838年~1903年
三代目河原崎長十郎 から初代河原崎権十郎と名乗り、七代目河原崎権之助、河原崎三升、九代目市川團十郎を襲名。

10.贈十代目 市川團十郎

九代目の婿養子 1882年~1956年実父は日本橋履物商で後に東京市議となった稲延利兵衛。
堀越福三郎から五代目市川三升となり、贈十代目市川團十郎(告別式で追贈)を襲名

11.十一代目 市川團十郎

贈十代目の養子 1909年~1965年 実父は七代目松本幸四郎。
初代松本金太郎か九代目市川高麗蔵、九代目市川海老蔵を名乗り、十一代目市川團十郎を襲名

12.十二代目 市川團十郎

十一代目の長男 1946年~2013年。
市川夏雄 から六代目市川新之助と名乗り十代目市川海老蔵、その後、十二代目市川團十郎を襲名

2019年1月、十二代目の長男・十一代目市川海老蔵が2020年5月の歌舞伎座興行を皮切りに、十三代目市川團十郎白猿を襲名することになりました。

歴代の市川團十郎は悲惨な最期!?

一見、優雅な歌舞伎界の市川團十郎さんですが、その一方で市川團十郎の名跡は、歴代のうち半数が何らかの形で悲惨な最期を遂げています。

・初代は、市村座で共演中の生島半六に刺されて、楽屋で横死しました。時に45歳です。

・三代目は、公演先の大坂で病気になり、江戸には戻ったものの2か月後に死去。21歳の時です。

・六代目は、風邪をこじらせて急死です。21歳。

・八代目は、公演先の大坂で舞台公演の朝、謎の割腹自殺を遂げました。32歳。

浮世絵には、死絵と言うものがあります。死絵は、一種の追善絵でその人の肖像を描き、没年・享年・法号を記して追善の歌や辞世をつけて、1枚絵にしたものです。八代目が自殺した時には、130種の死絵が書かれたそうです。死絵の数としては、最高となっています。

・十一代目は、市川團十郎襲名後、わずか3年半で病死。56歳。

・十二代目は白血病を患い、9年間の闘病生活の末、死去しました。66歳。

代々市川團十郎さんのお墓は、青山霊園にあります。機会があったときには、お墓参りに出向いてください。

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