成田空港は、昭和53年5月に開港した国際空港です。以来、日本の空の表玄関として、日本の経済発展や文化交流のために重要な役割を果たしています。
開港当時の名称は「新東京国際空港」ですが、その後、2004年(平成16年)4月に成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団 (New Tokyo International Airport Authority, NAA) から成田国際空港株式会社へと名称が変わりました。
同時に空港の正式名称も新東京国際空港から「成田国際空港」に改称されたものです。
「NAA」の略称は、当時の公団から引き継がれたもので、現在に至っております。
開港までの当時の苦々しい歴史を振り返ってみたいと思います。
Contents
成田空港建設の検討
1960年代には、大型旅客機の増加と高度経済成長によって、年々増大する国際輸送における航空機の重要性が高まりました。
また、フランスの「コンコルド」に代表される、滑走路の長大化も求められ、そのため、羽田空港の再拡張で、この航空需要に対応することとされました。
しかし、羽田空港の拡張は、海のため、東京港の港湾計画との調整が極めて難しい状態でした。技術的にも当時の港湾土木技術では不可能に近い状態でした。
その他、アメリカ空軍管制区域などの様々な制約がありました。
仮に拡張できたとしても、空港の処理能力は、大幅には改善できるものではなかったのです。強いて言えば、20%程度の増加しかありませんでした。
この様な理由から、羽田空港の拡張ではなく、新空港の建設の検討に至りました。
成田空港建設と反対運動
1962年(昭和37年)から、新国際空港の候補地についての調査が開始されました。
当時の運輸省は、1965年(昭和40年)成立した「新東京国際空港公団法」により、新空港の建設候補地の検討に入りました。
新空港の建設候補地としては、
千葉県東葛飾郡浦安町(現:浦安市)沖の埋め立て地
千葉県印旛郡富里村・八街町(現:富里市・八街市)
茨城県の霞ヶ浦沖の埋め立て
神奈川県横浜市金沢区の金沢八景沖の埋め立て
などが挙げられました。
最終的には、当時の佐藤栄作内閣が、建設予定地を千葉県印旛郡富里村・八街町(仮称:富里八街空港)から成田市三里塚(仮称:三里塚空港)に変更することを、1966年(昭和41年)7月4日に閣議決定したものです。
その理由として、国有地がある宮内庁下総御料牧場や県有林があること。そして、その周辺の土地は、戦後開拓農民(その多くは満州国と沖縄県からの引き揚げ者)の所有であることから、用地買収は難しくはないと考えたようです。
三里塚闘争
しかし、地元の土地所有者は、猛烈な反発をしました!
その理由は、事前説明がなかった事です。移転や騒音問題は、そこに住む人にとって、死活問題です。そのために、空港建設に猛烈に反発し、「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成し反対活動を開始した次第です。
さらに、この空港問題をややっこしくしたのは、日本の新左翼が支援を開始したことです。後に、激しい実力行使やゲリラ闘争が行われました。これが三里塚闘争です。
用地買収は停滞を極め、当時の政府は1971年(昭和46年)に、土地収用法に基づき2回に亘る行政代執行を行い、1期工事の用地を取得しました。
この時に、警察官3名が反対派による襲撃を受け殉職してしまいました。(東峰十字路事件)
また、反対派は岩山鉄塔を建てて対抗しましたが、1977年(昭和52年)5月6日に撤去されています。これに抗議する集会で反対派と機動隊が激突し、反対派支援者1名が死亡しています。(東山事件)
更に、反対派によって芝山町長宅前臨時派出所が襲撃され、警察官1人が殉職しています。(芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件)
生々しい事件が成田で起こりました。ました。
成田空港管制塔占拠事件
開港予定日の4日前の、1978年(昭和53年)3月26日空港の敷地内に反対派ゲリラが乱入。管制塔への侵入がありました。管制機器が破壊され、(成田空港管制塔占拠事件)開港が5月20日まで延期になりました。
京成スカイライナー放火事件
その他、同年5月5日には、京成電鉄の特急「スカイライナー」が宗吾車庫で放火されて、1両が焼失しました。
開港後も過激派の活動が続いて、警察は厳重な警備を敷いていました。
当時の福田赳夫内閣は、「この暴挙が、単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出しています。
その後、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」・「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」を制定しました。
この管制塔占拠事件を契機に、空港の安全確保のため、千葉県警察本部警備部に「新東京国際空港警備隊」が発足し、現在の千葉県警察成田国際空港警備隊に至っています。