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成田の歴史を知ろう!

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成田市の概要

成田市は、千葉県の北部中央の北総台地と呼ばれる位置にある都市です。北は、利根川をへだてて茨城県に接し、西は印旛沼(県立自然公園に指定)、東は香取市と接しています。

市域は約214平方キロメートル、人口は約13万3千人の中核都市と位置づけされています。

市の北部から東部にかけては、丘陵地が広がり工業団地やゴルフ場が点在、南部には成田国際空港があり、日本の空の表玄関として位置しています。

また、市の中心地である成田地区には、1,000年以上の歴史がある成田山新勝寺があり、門前町として栄えて来た市街地と、新市街地として整備された、成田ニュータウンも充実した街並みを形成しています。

市内の他の地区にも、寺社や観光スポットが数多く点在しており、水と緑に囲まれた豊かな地域が広がっています。

地形等

☆ 面 積:213.84 K㎡ 東西20.1Km、南北19.9Km

☆ 標 高:1m~42m

☆ 位 置:極東 所字北割地先    東経140度28分21秒
極西 北須賀字中外埜地先 東経140度14分57秒
極南 南三里塚字東地先  北緯35度43分24秒
極北 小浮字流作地先   北緯35度54分09秒

市域の大半は丘陵部で、関東ローム層が覆う台地となっており、山林と畑が混在しています。そのほかの地域は、低湿地域で豊かな水田が広がっています。

成田と言う地名の由来

成田と言うの地名の由来には、幾つかのいわれがあります。

☆ 最近の研究では、開墾を行い、広げてきた土地なので、なりわいの田(なりた)⇒「成田」の説があります。

☆ 稲の出来がいい肥えた土地のため、「熟田(なりた)」⇒「成田」とされる説。

☆ 雷が多い地域なので、雷の良く鳴る田「鳴田(なるた)」⇒「成田」とされる説。

このように、いろいろな説があるようです。

成田の歴史・生い立ち

市内に三里塚遺跡と言う場所があります。成田空港建設に伴う文化財調査の際に発見された、楕円形の石斧は千葉県内最古の石器です。今から約3万年前の成田を物語る貴重な石器が出土されました。

その後の縄文・弥生時代にも、きびしい自然を生き抜いた古代の成田人の歴史を貝塚や遺跡の中から、確認することができます。

また、市域を南北に流れる、根木名川周辺の台地や北印旛沼東岸台地には、200基を超す古墳があり、古代印波国の中心地であったと言われています。

律令体制時代の成田は、埴生郡、印旛郡、香取郡に属し、古代交通の要地でもありました。

天慶年間、平将門の乱を鎮めるため、寛朝大僧正によって成田山明王院神護新勝寺が創建され、成田は霊地となります。

中世に入ると成田は、下総千葉氏などの支配下に入り、徳川政権下では佐倉藩、田安家、幕府領、旗本領が入り組んだ場所にありました。 特に承応年間に、重税に喘ぐ農民救済のため直訴を決行した佐倉宗吾事件は世に広く知られています。

明治4年の廃藩置県後、数度にわたる所管の郡の変遷があり、現在の市域は印旛郡に入りました。戦後からしばらくした1953年(昭和28年)に町村合併促進法が制定され、翌年の1954年(昭和29年)3月31日に町村合併促進法によって成田町・公津村・八生村・中郷村・久住村・豊住村・遠山村の1町6か村が合併して、現在の成田市(当時の人口45,075人)が誕生しました。

その後の平成の大合併では、平成18年3月、香取郡下総町と同香取郡大栄町と合併し、人口約12万人の新生・成田市が誕生しました。

現在、北総地域の中核都市として成田市は、信仰の街と国際交流都市の街へと大き様変わりをし、発展を続けています。

成田国際空港との関わり

1966年(昭和41年)日本国政府において、新東京国際空港建設が閣議決定され、成田の歴史は一変しました。

新東京国際空港建設の決定に伴い、成田市議会は一度、空港建設反対の決議をしましたが、翌月には決議を白紙に戻し、逆に空港建設を積極的に協力する方針としました。

成田の行政を司る成田市役所

しかし、地元住民からは、十分な説明もなく住民の意見を無視した新空港建設に、大反対の声が挙がりました。その後、市民の間では空港建設に対して賛否両論でしたが、地元の農民約1千戸、3千人の人達によって「三里塚芝山連合空港反対同盟」が結成されました。

1968年(昭和43年)には、反日共系全学連などと共に決起集会を共催しています。

反対闘争は日に日に過激さを増して、死者が出るほどの深刻な社会問題と発展してしまいました。これが、現代史に残る三里塚闘争や成田空港問題となりました。

この惨事に対し、成田市では「暴力行為の排除と信仰の町成田の平和と繁栄の為に市民の協力を願う」との声明を出しますが、過激さは増す一方です。

こうした厳戒態勢をひきながらの混乱の中、全国から約13,000人の機動隊員が動員させ、1978年(昭和53年)5月20日、ついに新東京国際空港が開港しました。

しかし、政府による空港建設の強行は地域住民の信頼を失い、開港から35年以上経つ今日でも未だ、完全開港としての機能が確立されていません。

また、成田市にとっては、空港周辺の住民の航空機騒音問題、完全空港化などまだまだ山積みで、地域と空港の共生が重要課題となっています。

更に、羽田空港の係わり合いについても、首都圏の国際空港として今後の動向が不透明になっています。

昭和41年7月4日、新東京国際空港の設置決定から12年余り。幾多の困難を乗り越えて、昭和53年5月20日に開港しました。現在、航空機が1日平均512便離着陸し、空港旅客数は年間3,000万人を超えており、名実ともに日本の空の表玄関となっています。

歴代の成田市長

初代市長 石原貞三 (いしはら ていぞう)1954年(昭和29年)~1956年(昭和31年)

2代~5代 藤倉武男 (ふじくら たけお) 1956年(昭和31年)~1971年(昭和46年)

6代~11代 長谷川録太郎(はせがわ ろくたろう)1971年(昭和46年)~ 1995年(平成7年)

12~13代 小川国彦 (おがわ くにひこ)1995年(平成7年)~ 2003年(平成15年)

14代 小林攻 (こばやし おさむ)2003年(平成15年)4月28日 – 2006年12月4日
2006年12月、収賄容疑で逮捕。2007年9月、千葉地裁にて懲役2年、追徴金1200万円の実刑判決を受けました。成田市の恥部です。

15~16代 小泉一成 (こいずみ かずなり)2007年(平成19年)~ 現職。

成田へのアクセス

成田市からのJR・京成電鉄・高速道路でのアクセスです。

JR東日本
東京駅-成田駅(エアポート快速):80分

京成電鉄
京成上野駅-京成成田駅(特急):60分


首都高速-東関東自動車道:60分

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