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成田空港建設反対運動の歴史

サイト管理者の「テラ」と申します。成田を隅々まで熟知している、今は昔のイケメンです!(笑)

何度も成田に遊びに行きたくなる、そんな成田の魅力を発信しているサイトです。成田の魅力をここから発信して行きます。

成田の観光スポット・美味しい食べ物・お土産品・歴史・成田ゆかりの有名人の紹介など、成田空港がある街ならではの情報が盛りだくさんです。成田空港の悲しい歴史もあります。

皆さんが知っている成田から、地元の人でも知らない隠れ情報まで教えちゃいます。

成田が初めての方やトランジットの方、何度も成田に行ったよと言う方でも、また遊びに行きたくなる、そんな情報がワンサカあります。

(ただし、開設したばかりのサイトですので、今はまだ情報量はちょっとです。スミマセン。)

末長くお付き合いくださいませ。

成田国際空港の生い立ち

かつての正式名称は「新東京国際空港」でした。2004年(平成16年)4月1日に、成田国際空港株式会社法が施行され、成田国際空港となり、現在に至っています。過去に於いては生々しい反対運動がありました。その歴史を少しだけ振り返ってみたいと思います。

成田空港建設の検討が行われる

1960年代に入ると高度経済成長により、飛行機の大型化が進みました。年々増大する国際輸送の航空機の重要性が高まり、発着能力の拡大が強く望まれました。

そのため、当面は羽田空港の再拡張によって航空需要に対応する予定でしたが、羽田沖合に拡張した場合、東京港の港湾計画との調整がとても難しく、また当時の港湾土木技術では不可能との意見が出たものでした。

また、横田飛行場上空などとの兼ね合いから、航空機の離着陸経路の設定が厳しい制約を受け、仮に拡張できたとしても、空港の処理能力向上はあまり期待できないとされました。

以上の理由から羽田空港の拡張だけでは、長期的航空機輸送需要に対応できないことが判明したものです。

成田港建設と反対運動

このため、昭和37年(1962年)から新たな国際空港を建設すべき、その候補地についての調査が開始されました。当時の運輸省は昭和40年(1965年)6月1日に成立した「新東京国際空港公団法」をもとに、新空港を建設するための候補地の検討に入りました。

新空港の建設候補地としては、幾つか候補がありましたが、最終的に、国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林があり、その周辺の土地は戦後の開拓農民の土地があったことから、用地買収は容易に進むと考え、千葉県印旛郡富里村・八街町(仮称:富里八街空港)としました。

その後、成田市三里塚(仮称:三里塚空港)に変更することを、昭和41年(1966年)に閣議決定したものです。

三里塚闘争

成田空港建設に当たり、事前説明がなかったことに地元の農民の一部の方たちは、空港建設に猛烈に反発しました。理由は買収に伴う移転や騒音問題です。「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成して反対活動を開始しました。加えて、日本の新左翼が支援を開始し、激しい実力行使やゲリラ闘争が行われた三里塚闘争が記憶に新しいでしょうか?成田住民としては、来て欲しくない人です!

東峰十字路事件

用地買収が停滞したことから、政府は昭和46年(1971年)に、土地収用法に基づく行政代執行を行いました。1期工事の用地を取得しましたが、この時に警備の警察官3名が反対派による襲撃を受け殉職しています。石碑がありますが、未だに痛々しい記憶です。神奈川県警の方が、殉職した場所は、今でも花が添えられています。

先日もこの道路を通りました。未だ胸が痛みます。許せない事件です。過去は消えませんが、将来に向かって、よりよい空港であって欲しいです。

反対派の人達が成田駅に時々、ビラを配っています。気持ちは分からなくもありませんが、もっと違った方法で、解決して欲しいです。

 

東山事件

反対派が岩山鉄塔を建てて対抗しましたが、昭和52年(1977年)5月6日に撤去されました。これに抗議する集会で、反対派と機動隊が激突し、反対派支援者1名が死亡しました。

芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件

反対派によって、芝山町長宅前臨時派出所が襲撃され、警察官1人が殉職しました。

成田空港管制塔占拠事件

開港予定日直前の4日前。昭和53年(1978年)3月26日に、空港の敷地内に反対派ゲリラが乱入し、管制塔への侵入を許してしまいました。
管制機器が破壊されたため、開港が同年の5月20日まで延期となったものです。

京成スカイライナー放火事件

昭和53年(1978年)5月5日には、京成電鉄の特急スカイライナー用AE形電車が宗吾車庫で放火され、1両が焼失しました。その他にも、車両が被害を受けました。空港開港後も過激派の活動が続き、警察は厳重な警備を敷いていました。この当時は市民としては不安な時期でもありました。

千葉県警察成田国際空港警備隊の発足

当時の福田内閣は「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定したものです。

この開港直前の管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保を図るため、千葉県警察本部警備部に「新東京国際空港警備隊」を発足させたものです。それが、現在の千葉県警察成田国際空港警備隊に至っております。

悲しい犠牲の方があっての、空港開港です。ご遺族の方に対しても、忘れてはいけない事件です。ご冥福をお祈りいたします。

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