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印旛沼の竜伝承

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成田が初めての方やトランジットの方、何度も成田に行ったよと言う方でも、また遊びに行きたくなる、そんな情報がワンサカあります。

ただし、開設したばかりのサイトですので、今はまだ情報量は少しですが、徐々に増やしてまいります。

印旛沼の龍伝承は、千葉県の印旛沼で伝えられている、雨を降らせたために殺された龍についてお話していきたいと思います。

印旛沼の主は恐ろしい怪物?

印旛沼は現在、東京湾に流れ注がれていますが、その水路となった掘割の工事は今を溯ること、176年前の1843年(天保14年)となります。

天保改革の一環として行われたもので、老中水野越前守忠邦が計画したものです。この工事は、当時の幕府の財政に余裕がないことから、駿河国沼津藩主水野忠武など五大名の協力がありました。

この工事の時、印旛沼の主に遭遇した筑前国秋月藩の黒田家の家臣が、不慮の死を遂げています。その印旛沼の主とは?どんな妖怪?なのでしょうか?

現れた場所は、弁天山という場所で、底の深さが分からない程、印旛沼とは思えない場所です。その場所に、突然大雨と突風が吹き荒れ、稲妻が走り、印旛沼の主と思われる者が岩に腰かけたと言います。

その時の見回りの役人2人が即死、他の人は大病を患ってしまったとのことです。

印旛沼の主は、サルに似た色黒の大男のようですが、未だに印旛沼の主が見つかったとの話はありません。印旛沼を荒らす時に現れるらしいですよ。

雨を降らせた印旛沼の龍

昔々、印旛沼のほとりに、とても人柄のよい人々が住む村がありました。印旛沼の主である龍は、人間の姿になり時折その村を訪ねては、その村人達と楽しく日々を過ごしていたそうです。

ある年の夏、印旛沼周辺の村々は、日照りが続き印旛沼の水も枯れ、稲も枯れてしまう、ひどい干ばつに見舞われました。雨乞いは実らず、このままでは村人は死を待つだけと覚悟をしました。

その時、印旛沼の主である龍が村にやって来ました。村人から親切にしてもらったので、その恩返しとして雨を降らせようとしたのです。

しかし、天の大龍王が雨を降らせなくしているので、ここで、印旛沼の主の龍が雨を降らせてしまうと、体を裂かれて地上に落とされてしまうことを覚悟していました。
そして、天に上り姿を消したのです。その後、まもなく空が雲に覆われて、雨が降り出しました。当然、村人は喜びましたが、同時に雷と共に閃いた稲妻の光の中で、龍の体が三つに裂かれるのを見るのでした。

村人達は喜びもつかの間、悲しみに打ちひしがれた瞬間でした。翌日、皆で龍の体を探し出しました。龍の頭は栄町竜角寺で、お腹は本埜村(現在の印西市)で、尾は匝瑳市で見つかりました。

村人達は、自分の命に代えて雨を降らせてくれた龍を哀れに思い、その供養のためにそれぞれの場所に寺を建てて、龍の体を納めました。

その龍の頭が落ちた所が龍角寺、お腹が落ちたところが龍腹寺、尾が落ちた所が龍尾寺となっています。

龍角寺・龍腹寺・龍尾寺の境内

以下、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

龍角寺

龍角寺の縁起は、文化5年(1808年)に写筆されたものだとされます。縁起によれば、寺は元々は「龍閣寺」という名前でした。当時は下総国埴生郡と呼ばれていた場所に、和銅2年(709年)、空から現れた龍女が一晩で寺の建物を作ったとされています。

龍腹寺

龍腹寺は、龍角寺の釈命上人が雨乞いの祈祷の際に、死んだ龍の腹部を納めるために開いた寺だとされています。『利根川図志』では「天龍山龍腹寺」の題で寺の伝承を紹介していますが、寺は当初は龍福寺という名前であり、龍の腹部を納めたことから龍腹寺の名に変えたとしています。

一方で『利根川図志』は、天和元年(1681年)につくられた『勝光寺略縁起』での伝承も記しています。『略縁起』によれば、龍腹寺は古くは慈雲山延命院といい、大同2年(807年)の空海の上奏による七堂伽藍の建築後に慈雲山勝光寺延命院の号を受けました。

その後の延喜17年(917年)、旱魃に際し天皇の命による雨乞いを行なった時、龍の奇跡を伴う効験があったことから、天龍山龍腹寺の号を受けたといいます。

龍尾寺

龍尾寺の縁起は、明暦元年(1655年)に写筆されたとされ、それまでにも12回の転写があったといいます。その後、昭和59年(1984年)に弘法大師入定1500年を記念して『龍尾寺略縁起』が制作・刊行されました。

『略縁起』によれば、釈命上、人による雨乞いは元明天皇の世であった和銅2年に行われたとされています。雨乞いが始まると、惣領村の海岸に龍神が現れ、空に向かっていきました。その際に龍神の尾が垂れた場所が尾垂惣領村(のち尾垂村)となったものです。空に昇った龍は、間もなくその体が3つにちぎれて落下しましたが、直後に強い雨が降り始めました。竜の頭は埴生庄に、お腹は印西庄、尾は北条庄大寺郷に落ちました。大寺にあった寺に尾が葬られたことで、釈命上人が寺に「龍尾寺」と名付けたといいます。

龍角寺は天台宗、龍腹寺は創建時は真言宗で後に天台宗、龍尾寺は本堂陣内様式が天台宗の系統であり、一時天台宗でありましたが後に、真言宗に属しているといいます。

天台宗など密教に関連のある宗教では、龍王に対する請雨祈祷がしばしば行われていました。龍王とは、インドの蛇神・ナーガが仏教に取り入れられた姿で、降雨をもたらすとされています。

印旛沼の龍伝承とは、天台宗の経典である妙法蓮華経(法華経)の教えをわかりやすい形で、人々に広めるためにつくられたとも考えられており、その場合、天台宗の普及が目的であったと推定されます。

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